のんびりした会話かもしれない。まだオウム真理教事件も起っていなかったし、原発事故も起きていなかった時代であるから、僧との会話ものんびりしたものであったのかもしれない。
私の住んでいる地方からの類推であるが、日本には柿の木がたくさんある。どちらかといえば渋柿が多いのではないか。そしてそれらの柿の木の実は取られな いで放置されていることが殆どである。
私などは勿体ないと思う。干し柿にしたり焼酎をかけておいたりすれば、甘くておいしくて栄養価も高い食品になるから である。何故取らないのであろうか。何故自然の恵みをほったらかしにしておけるのだろうか。「この頃は柿の実が取られないでほったらかしにされております なあ。困った事ですあ」などという会話が交わされたのかもしれないなどとも思う。
もしかしたら、この柿の実がほったらかしにされている、つまり人間が自然 の恵みに気付かない時代であるということが、人間の欲というものが極端に突出したオウム事件や原発問題の遠因にあるのかもしれないとも思えてくる。
(『旅次抄録』)