秩父事件の中心地帯である西谷(にしやつ)は、荒川の支流赤平(あかびら)川を眼下に、空に向かって開けている。谷間から山頂近くまで点在する家は天空と向きあっている。
夕暮れ、陽のひかりの残るその空を一頭の狐がはるばるととび去ってゆくのが見えたのだ。いや、そう見えたのかもしれない。
急な山肌に暮らす人たちに挨拶するかのように。謎めいて、妙に人懐かしげに。
(『狡童』)