門平高札場は、領主が領民に対し禁止事項や法令を徹底させるために、これらの規則を板書きした高札を掲示した場所である。門平耕地のほぼ中央の辻に立てられており、江戸時代の上日野沢村の高札場である。無年貢地として、新設、修理ともに村の負担でまかなった。用材は栗を用い、屋根は杉皮葺であったが、昭和48年、保存事業として修復の際亜鉛葺とした。文政2年(1819)、門平耕地が火災に見舞われたときも、高札場は残ったと伝えられる。